カタカナの氾濫

母と一緒にテレビをみていると、

『あれ、どういう意味なの。』と聞かれることが多々有る。

近頃会話の中にカタカナを交えて話す人がとても多いのでさっぱり分からないそうだ。

確かに政治家、アナウンサー、ましてや通訳でさえ、さらりとカタカナで言ってのけるので何を通訳されているのか聞く側は『んっ?』って思う。

 

私が子供の頃に習っていた英語の先生は私たち生徒が和訳の練習時におかしな日本語で

翻訳してしまうと、

『日本語が出来ない人は英語も習えません。家に帰ってお母さんにきちんと日本語を

教わってから来て下さい。』と言って定規や竹の棒でこつんと私たちの頭を小突いた。

今時なら大変なことになるが昭和の子供はみんな多かれ少なかれ大人達に怒鳴られたり

叩かれたりが普通だった。

まぁ其のおかげで言葉を大切にする気持ちが根付いた気がする。

 

それにしても日本の一般家庭の人々はこのカタカナの氾濫に何の不便も感じずに

『なるほど』と普通に理解していらっしゃるのか。

随分と前になるが、街頭インタビューで『セレブとは何かご存知ですか。』という質問をしたニュースを見た。

自信たっぷりに『はい、知っています。』と答えた女性は意味を聞かれた際に

『癒し系ってことでしょっ。』と、得意そうな顔をしたのだ。

『だよね。』

私は心の中で納得した。

訳の分からない外国語を短縮して使うから本来の意味から全く想像もつかない言葉に

変容していってしまう。同じ言葉で話していてもいちいち意味を確かめながら会話を

しないと通じないではないか。

『ウィズダムなオピニオンのフィロソフィー、めちゃリスペクトっす。』って言われても尊敬されている気にはならない。

『使うならウィズダムじゃなくてワイズだよ。』って言ってしまいそうだ。

最近あまり使われなくなった良い言葉が日本語には沢山あるのだから安易に外国語を

引っぱり込まないでほしい。外国語がカッコイイなんて思う時代でもなかろうに。

 

昨日テレビを観ていた母に

『シノドスって何。』と、聞かれたので

『京都弁で「しのです。」って事じゃなぁい。』と、答えておいた。