読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

天才児の育て方

一寸前に有名新興宗教の本部にテレビレポーターが直撃取材するのを観た。

高級ホテルのような立派なロビーにはキラキラ装飾風の印刷が施された封筒が

ラックに沢山入っていて、何なのか注目していると私の気持ちがレポーターに

通じたのか、幾つか手に取って見せてくれた。

一般的な家内安全、商売繁盛、恋愛成就祈願用のお布施を入れる封筒のようだったが、

花粉症予防や天才児育成祈願といった今風のお布施袋もあった。

特に花粉症予防祈願は近年人気でリピーターが多いと、団体の人は自慢していたが

それって効き目があまりないのか、一年限りの効き目なのか謎である。

天才児育成祈願なんてものがあるのはきっと随分沢山の親御さん達が我が子を

天才に育てたいと願っているのだろう。

近頃は分相応とかカエルの子はカエルという意識が欠落しているらしい。

将棋の天才少年が現れて、彼が小さい子供の時分に遊んでいたという北欧製の

パズル積み木が売れに売れているそうだ。

確かにこんな積み木が好きな子供は何時間でも組み替えながら楽しく遊ぶことだろう。

でも全然面白く思わない子供はかじったり、放り投げたりぐらいしかしない。

他所の子がああだからうちの子もと思うのは子供にとって悲劇である。

しかし、人類は日々進化を遂げているので親がマスターした事は子供のDNAに刻まれ

子供は親よりも楽にそのことをマスター出来るらしい。

普通に努力すれば、とりあえず親は超えられるようだ。

生まれた家によっては家業を受け継ぐ運命にある子供もある。

これはある種かわいそうにも思えるが、先祖代々の血と環境を受け継ぎその子が

生まれもっての才能を一番発揮出来る境遇にある気がする。

そんな大変は家に生まれつかなかった殆どの人は自由に平々凡々と生きられる一番幸せな人達なのかもしれない。 

イースター

ぼんやりしているうちに今日はもうイースターだ。

日本でも最近はお祭りイベントとして流行っているそうだけれど聖書のお話ぐらい

子供達に教えて欲しい。

私の家は仏教徒だが、近所の幼稚園がキリスト教だったので私はそこの園児になり、

いろいろなキリスト教の話や祭事を教えられた。

中でもクリスマスとイースターはキリスト教徒にとっては最重要イベントだ。

話の内容もしっかり聞けばオカルト雑誌のムーに載っても良さそうなぐらい不思議な

話である。イースターは特に一旦十字架で処刑されたはずのイエスが蘇ったり、

待ち受けていた弟子がイエスには会えないものの代わりに待っていた天使から伝言を

告げられたりと、実に不思議で興味深い。

そしてイエスの復活を祝して復活の象徴である卵をイースターバニーと称するウサギが

いろいろな所に隠していったのを本日イースターサンデーの朝に子供達が探し集める

ゲームをするわけだが。。。

私が子供の頃はゆで卵にみんなで食用着色料で絵を描いたり色を塗って用意した。

まだ60年代の話だ。

それから10年ぐらいしてアメリカでのイースターを迎えたがその頃はすでに本物の

卵よりチョコレートの卵が幅をきかせていたような気がする。

それでもまだテレビではキリストの復活がテーマのドラマか映画を放映してその日が

どういう日なのかを世間に知らせていた。

今はまた別の国にいるのだが、ニュースのレポーターが小さな子供に

「イースターって何の日か知っている。」と、訪ねると

「チョコレートを死ぬほど食べる日だよ。」

そんな答えが返ってきていた。

ウサギに卵にそこから孵ったヒヨコまで商業という魔物によってチョコレートに変身

させられてしまったのである。

キリスト教のイベントをするならキリスト教徒になれとは言わないが、せめて一般教養としてどんな意味があるのか等知って欲しい。

折角イエスさまが人類の罪を全部引き受けて十字架にかかって下さって

みんなの心を奇麗にしてくださったんだからイースターを機会に心機一転、私も

復活しよう。そんな気分になってくる。

でも、あなたキリスト教徒じゃないじゃんって思われるかもしれないね。

神様はみんな友達だから〜教の奴は助けてやらないとかセコい事は言わないのだ。

神は愛なり。

人は神の子。

神の子は神。

人も神なり。

平和の願い

先日、中学校を卒業された愛子さまの作文を新聞で読ませていただいた。

テレビニュースでも内容を抜粋して伝えていたが、文と文を繋ぐ言葉のひとつひとつが

鮮やかに情景を描写してあまりにも素晴らしかったので全文をコピーして母にも見せた。

『沢山本を読んでいらっしゃるんだろうねぇ。立派だねぇ。』と、私が思った事と

同じ事を母は言った。

明日から国連特別平和大使として働いていただいてもいいような、

それどころかオバマ大統領の『なんちゃって核なき世界』のスピーチがノーベル平和賞ならSNSの拡散次第では

愛子さまが今年のノーベル平和賞を受賞されてもおかしくない。

そう思うのは私だけだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

カタカナの氾濫

母と一緒にテレビをみていると、

『あれ、どういう意味なの。』と聞かれることが多々有る。

近頃会話の中にカタカナを交えて話す人がとても多いのでさっぱり分からないそうだ。

確かに政治家、アナウンサー、ましてや通訳でさえ、さらりとカタカナで言ってのけるので何を通訳されているのか聞く側は『んっ?』って思う。

 

私が子供の頃に習っていた英語の先生は私たち生徒が和訳の練習時におかしな日本語で

翻訳してしまうと、

『日本語が出来ない人は英語も習えません。家に帰ってお母さんにきちんと日本語を

教わってから来て下さい。』と言って定規や竹の棒でこつんと私たちの頭を小突いた。

今時なら大変なことになるが昭和の子供はみんな多かれ少なかれ大人達に怒鳴られたり

叩かれたりが普通だった。

まぁ其のおかげで言葉を大切にする気持ちが根付いた気がする。

 

それにしても日本の一般家庭の人々はこのカタカナの氾濫に何の不便も感じずに

『なるほど』と普通に理解していらっしゃるのか。

随分と前になるが、街頭インタビューで『セレブとは何かご存知ですか。』という質問をしたニュースを見た。

自信たっぷりに『はい、知っています。』と答えた女性は意味を聞かれた際に

『癒し系ってことでしょっ。』と、得意そうな顔をしたのだ。

『だよね。』

私は心の中で納得した。

訳の分からない外国語を短縮して使うから本来の意味から全く想像もつかない言葉に

変容していってしまう。同じ言葉で話していてもいちいち意味を確かめながら会話を

しないと通じないではないか。

『ウィズダムなオピニオンのフィロソフィー、めちゃリスペクトっす。』って言われても尊敬されている気にはならない。

『使うならウィズダムじゃなくてワイズだよ。』って言ってしまいそうだ。

最近あまり使われなくなった良い言葉が日本語には沢山あるのだから安易に外国語を

引っぱり込まないでほしい。外国語がカッコイイなんて思う時代でもなかろうに。

 

昨日テレビを観ていた母に

『シノドスって何。』と、聞かれたので

『京都弁で「しのです。」って事じゃなぁい。』と、答えておいた。

 

体に良い事

若い人が集まると恋愛の話。

年寄りが集まると病気や手術の話に花を咲かせる。

八十で亡くなった父が最後に出かけたクラス会ではそれぞれの近況報告で次々に

『胃がんで胃を三分の一切りました。』

『肺がんでタバコをやめました。』

『糖尿で毎日歩かされています。』

『透析治療をしています。』

『段差もない所でつまずいて骨折入院してました。』

等の体不調自慢が始まり、とうとう最後の人は申し訳なさそうに

『私は入院も手術もしていませんが、水虫です。』

そう言ったそうだ。

中年になると段々体の事がいろいろ気になってくる。

とくに病気ではないけれど、肌のかさつきや疲労からの回復力の低下。

自分と同世代か上の世代なのに遥かに若くて元気そうな知り合いや全然知らない

テレビで見る人と己を比べ、なんとかせねばと思うのだ。

そんな心を見透かしたようにスーパーフード等と銘打って遥か遠くの国で採れた

聞いた事のない食品がわんさかやってきて、美味しいのかそうでないのか

よくわからないが、とりあえず体に良いそうだから食べる。

素直な心の持主はきっとそれで若く美しくなれると思う。

食べ物どうこうよりも自己暗示力が効くからだ。

私自身は疑り深い性格なせいか、外国のものは信用できない。

なぜかというと、生き物は自分や先祖が生まれ育った環境で進化していく訳なので

別環境で育った人に良い食物が自分にも当てはまるとは限らないのである。

例えば近年海外では和食ブームでスシはヘルシーでいくら食べても太らないと

大絶賛しているのだが、お米って日本人の体内では有益物質に変化するのに対して

先祖代々米食をしていない人の体内ではメタンガスが発生するだけらしい。

こんな話も読んだ事がある。

アマゾンの奥地に探検に入った白人達が原住民の貧しい食生活を見て気の毒に思い

新しい農業や酪農等を教えた結果、人々の体格は良くなったものの今までそこに

存在しなかった成人病や虫歯が蔓延してしまった。

こんな話を聞く度に思う。

やっぱり地産地消。其の季節に旬の物を頂く。

これが一番だ。

 

チャイニーズ ウィスパー。。。伝達ゲーム

『なんかおかしいと思っていたけど、やっとわかったわ。』

突然、母が言った。

何の事かと聞いてみると、どうも朝ドラの衣装のことらしい。

なんでも、主人公の従兄弟役の俳優が着ている着物の襟が白だったそうだ。

『男性の普段用着物の襟は通常グレーやブラウン等の渋い色で白を使うのは

僧侶のような特殊な職業の人だけなのに今の若い人は知らないのね。』

と、半分あきれていた。

知らなければそんなものなのだが、知っている人からみれば気になる。

時代劇を作る場合、本を読んだり縁の地に訪れたり色々な勉強をまずされることだろう。近現代ドラマの場合はその時代に生きていた人がまだいらっしゃるのに、話を

聴きに行かないのかと不思議に思う。

現在放映中の朝ドラは衣装や小道具で驚かされる事が多い。

主人公や主人公の姉の結婚式の参列者が喪服だったので、これから出征していく配偶者達がこれから戦死することを暗示しているのかと思いきや二人とも元気に帰ってきた。

大金持ちの主人公やそのお友達が結婚式に参列するならきっと目が覚めるような金糸

銀糸の刺繍やしぼりの大振り袖だろう。既婚者は留袖だが、まさか真っ黒な着物で

出て来る人は庶民でもいないはずだ。

普段の食事風景でも箸置きがない。

食卓も実家の洋館はきちんとしたダイニングテーブルだったが、戦後の主人公達の家は

ちゃぶ台に毛の生えたようなテーブルにリビング用の椅子で食事をしている。

庶民にはセレブの生活なんて想像もつかないとはいえ、映像化するなら出来るだけ

本物に近づけてほしい。

明治、大正、昭和初期に生まれた人達と直接話が出来るチャンスはまだある。

なのに今の頭で今風に近現代史を書き換えるのはどうなのかと思う。

伝達ゲームは途中の人がいい加減だと真実が伝わらないのだ。

免許証更新

随分と前から運転免許証の更新に行かなくてはと思いつつ、なかなか腰が上がらなかった。理由は毎度の事ながら視力テストである。

普段からメガネやコンタクトは使っていないが、確実に視力は落ちている。

日本の免許証ではメガネが必要なレベルにとうの昔から達しているのだが、今いる国では基準がゆるくて今までメガネなしで通ってきたが今回は非常に不安だった。

近頃は細かい文字も見えにくいが適当なメガネで間に合わせて眼科検診にさえ行っていないので自分の視力がどの程度なのかもわからない。

そこでネットで検索’してみると簡易視力検査がいくつかあったので試してみた。

結果は、良くはないがまあまあパスしそうなレベルだった。

それでもグズグズしてとうとう明日期限切れになるギリギリのタイミングで本日、更新に行って来た。

AAでは予想以上に込み合っていたが、係員の人達は皆さん愛想が良くて親切でこちらもネットの評価以上。

私の二人前に並んでいたおばさまが視力テストを受けていた。一つ目の機械を覗いて

どうも調子が悪かったらしく、次々と二つ目三つ目の機械に移動して覗き込んでいたが

結局不合格になってしまった。メガネを新調して出直しのようだ。

自分の番になって驚いた。テストは片目づつではなくて両目で割合大きな文字を読み上げて、左右に明かりが点滅するのを言い当てるだけだった。ゆるすぎるほど緩い。

前回は片目のテストもあったような気がするが、運転する時は両目で見るのだから片目

テストは割愛されたのかもしれない。

こんなに適当でいいのかと思うが道幅も広くて車数も少ないから良いのだろう。

とりあえず本日は一安心。安全運転を心掛けよう。